冥夜と称された王子の物語―1―








――おや?こんにちは。私に何かご用ですか?

――え?物語を一つ聞かせて欲しい?えぇ、構いませんよ。何せ私は語り部、様々な物語を聴かせ歩くのが生業ですから。

――さて、どのようなお話をしましょうか・・・・・あぁ、一ついいお話があります。

――それは、とある国の我侭王子のお話です。我侭で、それでいて愚か過ぎるほどの・・・ね。

――皆々様!ご静聴、宜しくお願いしますね?











その国は周囲をぐるりと深い渓谷で囲まれた小さな小さな国でした。

自然と出来た要塞のお陰で他国から侵略される恐れもなく、それなりに自給自足が成り立っているとても平穏な国です。
けれども、その平穏な国にも大なり小なり問題ごとは起きます。
その国の王宮――と言っても小さな国ですからそれほど大きなお城というわけではありません。けれどもそこら辺の地主よりは立派で、凝った様相をしていましたので、十分王宮と称せるでしょう――にも、そんな問題ごとはありました。

その問題ごととは、その国の王子様にありました。
その王子は大層我侭で、傲慢不遜にして乱暴者でした。そんな王子を知っている者達は、もちろん彼のことが好きではありませんでした。
王子の前でこそ何も言いませんでしたが、彼のいない所では皆口々に彼の悪口を言い、罵りました。過激な者など、本人に聞こえる聞こえないにも関らず彼の王子を糾弾しました。

けれど、当の本人はどこ吹く風。
周りの言葉など一切気にせずに、その態度を変えることはありませんでした――――。










「スティルベルグ王子!一体どこに行かれるのです?!まだ勉強の時間は終わっておりませんぞ!!」

「うるせぇ!ったく、かったりぃんだよ!国の歴史なんて習って、一体何の役に立つってんだ!!」


王宮中に響き渡らんばかりに大きな怒声と同時に、バンッ!と部屋の扉が乱雑に開けられる。
王宮の一室から出てきたのは、十代も後半の青年。肩よりも下くらいに伸びている艶やかな漆黒の髪は項で結われ、王族のみに現れると言われている紫の瞳は苛立ちに剣呑に眇められている。

黒髪の青年―――スティルベルグ王子と呼ばれた彼は、この国の王子であった。正式な名はスティルベルグ・リア・シャーレン・カティフと言い、王位第一位継承者である。ちなみに歳は18。

部屋を飛び出した青年――スティルベルグの後に続いて部屋を飛び出して来たのは、中年も終わりくらいの年齢の男――青年に国史を教えている教師である。
教師はスティルベルグに授業を続けてもらうためにも、必死で彼の後を追い縋る。


「何を仰いますか!政を行う上で、国の歴史を知っておくのは当然のことでございましょう!?」

「〜〜っ、うるさいうるさいうるさい!!俺は勉強なんざ嫌いなんだ!んな何時間も大人しく椅子に座って書物を開いて、眠たい講義なんぞ受けてられるかっ!!」

「あっ、王子!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ!流石は冥夜(めいや)の王子だな」


伸ばした手を乱暴に振り払い、ずかずかと乱暴な足取りで歩み経っていく黒髪の青年の背に、教師である男は皮肉げな口調で言葉を小さく吐き捨てた。
スティルベルグの背を見送る教師の眼には、侮蔑と嫌悪の光がありありと浮かんでいた。







                        *    *    *







教師を振り切ってその場を後にした青年――スティルベルグは、王宮の中庭へと向かって回廊を突き進んでいた。
向かう途中で宮仕えの者達から不躾な視線を向けられたらキッ!と睨み返し、それに対して眉を顰められるという何とも悪循環な遣り取りをする。ぶつかりそうになる者には「邪魔だ!」と一言吐き捨て、その歩みを止まらせることなく物凄い速さで長い回廊を歩いていった。

ずかずかと足音高らかに歩いていたスティルベルグは、進行方向からやって来る人物に気がつき、それが誰であるのかを知ると苦々しげな表情を作った。
相手の方もこちらに気づいたらしく、わざとらしくもニコリと実に爽やかな笑みを浮かべて寄越した。


「おや?スティルベルグ王子・・・・ご機嫌麗しゅう。その足取りからするに、授業を抜け出してきたところですか?」

「カランリアース・・・・・・・」


さらりとした物言いをしつつも、一目見てスティルベルグの行動を察する彼は、かなりの洞察眼を持っていると言えよう。
そんなカランリアースに、スティルベルグはやや口の端を引き攣らせた。

カランリアース・ツペェルダン。彼はこの国――シャーレンの宰相である。歳は28と宰相を務めるにしては随分と若い年齢であるが、彼はかれこれ5年も宰相を務めているのである。その年月だけで彼の有能さは窺えよう。
その地位についているためにその性格になったのか、はたまたそんな性格だからこそその地位につけたのか・・・・・・。真がどちらにあるかはわからないが、その上辺から内心を読み取ることができず、腹に一物どころか二物も三物も抱えていそうな食えない性格をしている彼を、スティルベルグは苦手としていた。


「はぁ・・・。ここ最近、授業を抜け出し過ぎなのではありませんか?教師達の嘆きの声が絶えない日は無いように思われるのですが・・・・」

「はっ!嘆きじゃなくて、嘲りの間違いじゃないのか?」

「『冥夜の王子』・・・・ですか?」


『冥夜の王子』――それはスティルベルグに対する蔑称である。
その名に込められた意味は酷く辛辣だ。
”冥(くら)”い”夜”と書いて明けぬ夜(=明るい未来がない)を意味し、その”冥い”という言葉自体にも『愚か』とか『無知』の意味を多分に含んでいるという実に手の込んだ呼び名である。


「そ。人が聞こえていないと思って言うわ言うわ・・・・・これ、明らかに不敬罪だよな?」


不敬罪。と言う割りに、その表情はニヤニヤと笑っていて全然気にしている風ではない。寧ろ楽しんでいるようにさえ見える。
そんな堪えた様子のない彼の態度を見て、カランリアースは呆れたように息を吐いた。


「ご自分が悪く言われていることを知っているのなら、少しは改善しようと思わないのですか?」

「はっ!冗談!何で俺様が一々他人の評価を気にしないといけねーんだよ。馬鹿馬鹿しい」

「何を言っているのですか。貴方は王位第一位継承者、次の国王なのですよ?風評が悪ければ、あっという間にその地位から引き落とされてしまいますよ?」

「それこそ戯言だな。俺が知らないとでも思っているのか?次の王には俺――スティルベルグ王子ではなく、弟のジークフェルグ王子をという話、議会で出ているんだろう?」

「・・・・・・・・・・・・」


スティルベルグの言っていることは本当のことであったので、カランリアースは口を閉ざした。
スティルベルグはそんな彼を見て、軽く肩を竦める。


「だんまりは肯定と同義だぜ?宰相殿」

「・・・・・・わかっていて尚この態度、ですか?」

だよ、今更良い子ちゃんぶれってか?冗談じゃないぜ!誰がんなゴマすりみたいな真似するかよ」

「態度を改める気はないと?」

「愚問、だな」


スティルベルグの返答を聞き、カランリアースは僅かに眉を顰めたが、それも直ぐに元の微笑を湛えた”無表情”へと戻った。


「・・・・それが、何を意味するのかわかっているのですか?」

「わかってなければ、どうするんだ?」

「愚か、としか言うことはできませんよ?」

「・・・・・・・・今の言葉、聞かなかったことにしてやるぜ。有難く思いな」

「ちっとも有難くありませんね」

「そうかよ」


話はここまでだ、と軽く首を振ってスティルベルグは再び歩き出した。
そしてそのままカランリアースの脇を通り抜ける。
スティルベルグが横を通り抜ける際、カランリアースは彼の耳に届くか届かないか位の小さな声で囁いた。


「貴方・・・・・・・・
消されますよ?

「・・・・・それこそ、俺の知ったことではないな」


カランリアースの言葉に、振り返ることもなくスティルベルグは言葉を返した。
そして彼はそのまま中庭の方へと歩き去っていった。

カランリアースはしばらくの間その場へと佇んでいたが、スティルベルグの足音が聞こえなくなる頃になってから徐に、その背後を振り返った。
当然のごとく、その視線の先には彼の王子の姿は映らない。


「王子、貴方は・・・・・・」


彼の口から零れた言葉は、その後が続けられることはなかった。



ただ、乾いた空気のみがそこにあるだけであった――――――。







                        *    *    *







中庭へとやって来たスティルベルグは、辺りを見回して人気がないことを確認すると、ふぅ・・・と疲れたように息を吐き出した。

いくら本人が中傷を気にしなくとも、気にしないようにしていても、四六時中ちくちくと刺さる侮蔑の視線に気疲れを起こさないはずがないのだ。
そこのところは人を馬鹿にしたような態度を取って見せることでいくらでも誤魔化しがきくのだが、かと言って誰が好き好んで人の負の感情をもろに浴びたいと思うだろうか。

針の筵のような・・・・という視線の嵐の実践を潜り抜けて一息吐いていた彼は、だからこそ気がつかなかった。――――背後から駆け寄ってくる人影に。


ティル兄上ぇ―――っvV

ごふぅあっ?!


ドゴォッ!と、容赦なく腰に襲い掛かってきた衝撃に、スティルベルグは耐え切れずに石畳へと倒れこんだ。
ゴッ!とスティルベルグの頭が石畳に殴打され、実に痛々しい音が中庭に空しく響いた。
スティルベルグはあまりの痛みに石畳の上を転がり回ろうとしたが、残念ながらいまだ彼の腰にしがみ付いている”それ”が許さなかった。
彼の腰にしがみ付いている”それ”は、腹立たしくも彼の上からどくことなく話し出した。


「お久しぶりです、兄上!元気にしていましたか?ここのところ全然お会いする機会がなかったので、ここで会えて『ラッキー!超ついてるじゃん☆僕!』って思わず内心でガッツポーズをしてしまいました!・・・・・って、どうかしたんですか?兄上」


ほとんど一息に話していた”それ”は、しかし己が抱きついている(押し潰しているとも言う)兄が肩をプルプルと震わせて押し黙っていることに気がつき、きょとんと不思議そうな顔をした。
思いっきり打ち付けてしまった額の痛みに悶絶していたスティルベルグは、何とか痛みを堪えながら元気良く話しかけてくる”それ”に対して返事を返した。


「〜〜っ、・・・・・と、取り敢えず、久しぶりだな・・・・ジーク。つい先程までは元気だったんだがな、今は頭と腰が痛いな・・・・・・・」

「そ、それは大変です!今すぐ医者を・・・・・」

「だあぁっ!お前が、今!抱きついて押し倒した挙句、重石になってるせいだっつーの!いい加減上から退きやがれ!!」

「ぅえぇっ?!ご、ごめんなさい!今すぐ退きます!!」


こめかみに青筋を立てながらガァッ!と吼えるスティルベルグに、ジークと呼ばれた”それ”は慌てて彼から飛び退いた。
「くっ、まだ四十腰になる歳じゃねーってのに・・・・」とぼやきつつ立ち上がるスティルベルグを、ジークはハラハラとした様子で見守る。


「ご、ごめんなさい兄上・・・・つい加減なく抱きついてしまって・・・・・」

「・・・・・はぁ。ジーク、ジークフェルグ」

「!は、はい!!」


名前を呼ぶとピョンと小動物の如く反応を示すジークに、スティルベルグは苦笑を零しながらくしゃくしゃと乱暴に彼の髪を掻き混ぜた。


「っ!・・・・・・兄上?」

「・・・・・・・・・・・・・次から気をつけろ」


くしゃくしゃに髪を掻き混ぜられたジークは少しの間呆然としていたが、ぶっきらぼうな言葉と共に許してくれたスティルベルグに嬉しそうに笑った。


「えへへへへっ・・・・」

「・・・・・何笑ってやがる」


くしゃくしゃになった髪を自分で撫でつつ、蕩けるような笑みを浮かべるジークに、スティルベルグは仕方がないと言わんばかりの溜息を零した。

ジーク・・・ジークフェルグ。彼の正式名称はジークフェルグ・レイ・シャーレン・カティフと言い、正真正銘のスティルベルグの弟である。
その容姿はスティルベルグと真逆で、輝かんばかりの金髪に兄同様に紫色の瞳をしている。
彼はスティルベルグより3歳年下で15歳であるが、その外見はどう見ても十代前半にしか見えない。それもこれも彼の身体があまり丈夫でないことに起因するのであるが、実年齢よりも若干幼い彼の言動も少なからず影響していると思われる。
しかしそんな彼だからこそ、人々は好き、愛する。
彼に贈られた呼び名は『黎明の王子』。兄の呼び名である『冥夜の王子』に当てつけるかのような、光に満ちた名であった。


「いえ、ただ・・・久々に兄上に頭を撫でてもらったな〜と・・・・」

「・・・・・・・・・・」


お前は髪がぐしゃぐしゃになるまで掻き回された状況を『撫でた』と言うのか・・・・?(汗)

実際に髪をぐしゃぐしゃにした張本人である自分が言えた義理ではないのだが、どう見てもその状態は撫でてもらったと評するには難しいものがあると思う。つーか、それくらいで喜ぶな。


「・・・・・・頭くらい、母上に撫でてもらえばいいだろうが」

「なっ、それとこれとは別です!僕は兄上に撫でてもらって嬉しいと思うんですから!!」

「・・・・・・そうか」

「そうです!!」


力一杯肯定するジークの手は、きつく握り拳が作られていた。(・・・そこまで力説するか?)

誰かこのあまりに愚直な弟を何とかしてくれ・・・と思うスティルベルグであるが、残念ながら彼らの間に割り入ってくれる存在はいなかった。

(・・・・・・ん?誰もいない??)

ふと己の思考に引っかかりを覚え、スティルベルグは微かに眉を寄せた。
そして己を見上げてくる弟をまじまじと観察することで、漸くその引っかかりが何であるのかを悟った。


「――ところでジーク。お前・・・・・・お前の護衛騎士はどうした?」

「え?・・・・・・・・てへっ!巻いてきてしまいました☆」

ばっ・・・
かやろうっ!お前を護ってくれる奴を置いてきてどうするんだ!襲われたら一巻の終わりだぞ?!」


このどう見ても標準から見たら小さくて華奢な弟が、護衛もなしに歩き回っていて良い筈がない。この王宮内で他者から襲撃されることなど、それこそ余程のことでもない限り在りえない。在りえないが、この普段からどこかぽやぽやしている彼を一人でいさせるなど、心配の極みではないか!頼むから一人でも護衛の者は連れてくれ!!

・・・・という兄の心情など一切気づいていないのだろう。弟はといえば兄の言葉に口を尖らせているだけである。


「え〜、そういう兄上だって騎士の人、傍にいないじゃありませんか」

「俺の場合は元からいない!・・・・じゃなくって、今はお前の騎士の話だ。探しに行くぞ!!」

「ぶぅ〜。もっと兄上と話していたいです」

「我侭言うな!今はお前の身の安全を・・・・・・」

だっしゃぁあぁぁっ!うちの可愛いジーク殿下に何しくさってやがる!アホんだら王子があぁぁっ!!

ぐほぉあっ?!!


威勢の良い怒声と共に、強烈なドロップキックがスティルベルグの脇腹を襲う。
受身を取る間もなく、スティルベルグは本日二度目の地面との熱い抱擁を交わすこととなる。
蹴り飛ばされる瞬間、「弟の身の安全より、まずは己の身の安全を図るべきだったか・・・・・・」と後悔した彼は決して悪くは無いだろう。


「殿下!あぁ、ジーク殿下!お探し申し上げました!!私が少し眼を離してしまったばかりに、殿下に恐ろしい思いをっ!!」

「いえ・・・あの、シャルティナ?僕は別に恐い思いなど・・・・」

「何を仰いますか!つい今しがたまで王宮指定の危険動物に遭遇していらっしゃったではないですかっ!!どこか怪我は?!お具合が悪いなどということはございませんか??!」

「は?危険、動物ですか・・・・・?そのような生き物がどこに・・・・・・」

「あそこに転がっているのがそうです!まだ近いですね・・・・・もう少しこちらへ!」


「あそこに・・・」という部分でいまだに石畳の上で悶絶しているスティルベルグを顎で指し、目測で彼との距離を測ると、ジークを伴って更に五歩ほど離れた。
そんな彼女――シャルティナの行動に怒りを見せたのは、やはりと言うべきか蹴り飛ばされた当人であるスティルベルグであった。


「っ、こらぁっ!シャルティナ!てめぇ、よくも俺様のことを足蹴にしやがったな!!しかも王宮指定の危険動物ってなんだよ?!不敬罪で牢屋にぶちこむぞっ?!」

「はっ!言葉遣いは汚い、能も無いのにやたらと権威を振りかざす、挙句の果てにこの清らかな殿下を汚そうとする野卑た輩に払う敬意などないわっ!」

「待てやこらぁっ!言葉遣いはともかく、最後の汚すとかなんだ汚すとかっ!聞き様によっちゃあかなり下品だぞおいっ?!」

「なっ、私はそのような意味で言ったわけではない!それを卑猥な方向に持っていくなどと・・・・・・変態!野獣!王族の恥がっ!!近寄るな!殿下に染るっ!!」


しっしっとまるで汚い野良犬でも追い払うかのように手を振るシャルティナに、スティルベルグは怒りを通り越して呆れた心境になった。


「染るってお前なぁ・・・・俺は細菌か?」

「細菌などとおこがましい!貴様など雑菌で十分だ!!」

「・・・・・・それはどう違うんだ・・・・・?」


何を言っても反論してくるシャルティナ(本当だったら処刑ものである)に、スティルベルグは疲れたように息を吐いた。
もう、彼女と言葉を交わせるほどの気力は湧いてこない。


「あ〜、ジークを見つけたんだったら早く部屋に連れ帰ろ」

「言われるまでもない!さ、殿下行きましょう!!」

「あっ・・・・・・」


ジークは兄に言葉を掛ける間もなく、シャルティナ強引に連れて行かれる。
ちらちらと何度もこちらを振り返る弟に、スティルベルグは堪らず苦笑を漏らした。
曲がり角の向こうへと消えていく弟の背を見送った後、スティルベルグは呆れたように首を緩く振って言葉を紡いだ。


「・・・・・ったく、俺を気にする暇があったら、自分のことを気にしろよ・・・・・・・・」

「――全くその通りですね」


返答などあるはずもない呟きに、思いもがけず言葉が返ってきた。
はっとなって声のしてきた方へと顔を向けると、少し離れた回廊と中庭の境に佇んでいる男の姿が目に入ってきた。
男はスティルベルグを視線が合うと、その眼鏡の向こうの青灰色の瞳をうっそりと眇めた。
腕組みを解き、歩みだした男の動きに合わせて、さらりと絹糸のように細く長い銀髪が宙に踊った。


「お久しゅうございます、殿下?お元気そうで何よりで・・・・・・」

「サジール・・・・・・」


銀髪の男――サジールを目にしたスティルベルグは、その表情を僅かに苦々しいものへと変化させた。

サジール・ジェノリス。彼の男は以前スティルベルグの教師に任じられていた者である。そして今は弟ジークの・・・・・。


「お前も・・・・相変わらずのようで何よりだ」

「えぇ、ジーク殿下ともそれなりにさせて頂いてますよ」

「それは何よりだな。あいつはどんな感じだ?」

「おや?やはり敵対なされる相手の様子は気になりますか?」

「・・・・・・・・・・」


くすりと意地悪げに笑うサジールに、スティルベルグは言葉を続けることなく口を噤んだ。
サジール。この男も宰相・カランリアースとはまた別に、腹に一物を抱えているようなタイプである。それは己の教師を務めていた頃より変わりはない・・・・いや、一層磨きがかかったようである。

均一の歩調で歩み寄ってきたサジールは、スティルベルグの眼前まで来るとその歩みを止めた。そしてその長身を折り曲げて、口元をスティルベルグの耳元まで持ってくると、まるで吹き込むかのように囁いた。


「先程の言葉、そのままそっくりお返ししますよ。いいのですか?敵対しているはずの弟君に感けていたりなどして・・・・・・。今などその存在自体の有無が危ぶまれているのでしょう?『冥夜の王子』」

「・・・・・・。お前は一体何の話をしているんだ?俺にはさっぱりわからないな・・・・・・」

「ほぅ?ご自分の立場がわかられてはいないと?そう仰りますか?」

「っ、だから!何の話をっ―――!」


随分と遠回りな物言いに声を荒げかけたスティルベルグは、しかしきつく掴まれた腕の痛みに言葉を途絶えさせた。


「立場を弁えたら如何かと申し上げているのですよ。貴方とあの方とではその差は歴然としているとお分かりでしょう?真実から目を逸らすなど、愚か極まりない・・・・・・・・・」

「っ、だから何だって言うんだよ?!俺の態度を直せって?もっと王族らしくしろって?そんな取り繕いが何になるって言うんだよっ!!?」


吐き捨てるかのように言うスティルベルグを見て、サジールはその冷たい笑みを深めた。


「何もなりませんね。・・・・・だからといってその様に周囲に牙を剥いていても、進むことのできる道は一つしかありませんよ?」

「はっ!それこそ自業自得ってもんだろ。俺は俺のしたいようにやっているだけだ。それを誰に何と言われようとも、これからも変えるつもりはない!」

「・・・・そうですか、それでは歩むがよろしいでしょう。細く、険しい・・・・断崖絶壁への道を、ね」


サジールはそう言い残すと、颯爽とした足取りで中庭を去っていった。








スティルベルグはそれを握り拳をきつく握り締めながら黙って見送るのであった―――――。
















2008/2/11