冥夜と称された王子の物語―2―








静まった王宮の回廊に、二つの足音が響く。

中庭を後にしたジークは、己の手を引いて前を歩く己の女護衛騎士――シャルティナへと視線を向けた。
前を歩き、こちらへと背を向けている彼女の表情を、もちろん後ろにいるジークは窺い知ることはできない。

ジークは己の騎士へと声を掛けた。


「――シャル!シャルティナ!もう少しだけ、ゆっくり歩いてはくれませんか?」

「!も、申し訳ありません!ジーク殿下。少し、配慮に欠けていました。殿下はお体がそう丈夫ではないと承知していましたのに・・・・・・・」

「いえ!それは構わないのですが」

いいえ!いいえ、大いに構います!殿下の御身にもし何かあったらと思うと・・・・・このシャルティナ、胸が潰れる思いです」

「シャル・・・・・・・」


ジークはシャルティナへと返す言葉が思いつかず、その言葉を詰まらせた。

この女騎士の自分への忠誠心はとても篤いことをジーク自身、一番よく知るところであった。そして主と仕える者という立場を除いたとしても、彼女自身が個人的にも己へと寄せる思いの深さに変わりがないということもよくよく知っていた。
そしてそんな彼女は、親鳥が雛鳥を守るが如く、どんなに些細な障害からもジークを堅く護ってきた。それと同時に、あまり身体が丈夫でないジークの体調面において、細心の注意を払っているのも彼女であった。

護衛される立場の者として、これほどまでに気を配ってくれる者がいることは僥倖であると言える。
しかし、それに伴って一つの問題も生じてきた。それは―――


「シャル・・・・シャルが僕のことを大変気遣ってくれるのは、僕自身嬉しく思っています。・・・・・・しかし、何故にああもティル兄上のことを邪険に扱うのですか・・・・?」


そう、その問題とは、ジークにとって大好きこの上ないティル兄上――もといスティルベルグ王子に対する彼女の素晴らしいまでの暴挙な振舞いと態度であった。

二年前より己の騎士として任命された彼女は、どういった思惑があるのかはわからないがスティルベルグに対する言動が極寒地帯並みに厳しく、冷たかった。
初対面で彼の顔へと鋭い右ストレートを放った行いは、最早王宮では伝説として広く語り継がれている。
以降、ジークとスティルベルグが1対1で対面するような場面がある度に、殴り飛ばしの蹴り飛ばしは当たり前の遣り取りとなってしまった。・・・・・流石に他人の目があるような所では、ジークの体面を気遣ってそのような行いに至らないが、それでも鋭く眇められる彼女の眼光は隠されることはなかった。

一体、兄のどこがそんなに気に食わないのか、ジークとしては理解することができないでいる。
そんなジークの心情を知ってか知らずか、シャルティナは至って真面目な顔で主の問いに答えた。


「率直に申し上げさせて頂くのなら・・・・・気に食わない。この一言に尽きます。ジーク殿下は身体があまり丈夫でないのにも関らず、きちんとご自分の政務をなされているというのに・・・・・・あの方はそれもなさらずに遊び惚けてばかり!挙句に性格が我侭・傲慢・不遜の三拍子では最早救いようもない!!」

「シャル。兄上は決して遊び惚けてばかりでは・・・・・・」

「いーえ!間違いなく、遊び惚けています!昨日とて彼の付人が彼を探し回っていました。私は彼が政務をきちんと行っている様を一度として見た事がありません。・・・・・まぁ、それは私が彼の護衛騎士でも何でもないのでそのような機会がないからなのかもしれませんが、しかし日々彼の姿を探し回る付人の姿を見れば、それが為されているようには決して見えないのです」


きっぱりと言い切るシャルティナに、しかしジークは緩く首を横に振って否定した。


「シャルティナ・・・・・僕達の仕事はそれこそ城外のものを除けばほとんど書類処理になります。そしてそのような仕事は他人の目につくようなものでもありません。何せ部屋の中で行っているのです、臣下全員や公衆面前ではない・・・・・・そうしてそのような仕事の様は、極近しい場所に付いている者達しか窺い見ることはできないのです。そういった行いの結果は、不特定多数の者達に曝されることなどほとんどありません」

「・・・・・ですが、殿下。殿下はそのほとんどないことを行っているではありませんか」

「え・・・・?」


―― 一体、彼女は何を言っているのだろう・・・・?

シャルティナの言った言葉の意味がわからず、ジークは怪訝そうな顔をした。
そんなジークの疑問に答えるかのように、シャルティナは言葉を続けた。


「その土地柄にあった穀物の品種改造および品種の取り寄せの案件、民への学を施すための学び舎の建設の案件などといったものは、殿下が考案なされたのですよね?そしてそれは人々の目にも映るものです」

「なっ!それは・・・・」

「そのようなこと、あのスティルベルグ殿下は為されていますか?いませんよね?それでは彼に近しくない我々は彼の評価をしようがない・・・・・もとい、真っ当な評価を下す材料が手元に無いのです。そして、自分達で手に入れられる判断材料といったら、彼の周りの者に対する普段の言動に他なりません」


そして、その結果が彼の呼び名である『冥夜の王子』・・・・・・・。


「我侭で、周りを顧みない、人を気遣うような優しさもなく、国を運営する上で無能な王子・・・・・・・それが皆の一致する彼への印象なのですよ」

「そんな!兄上は優しいです!人を気遣えないなんてこと、ありません!!現に兄上は僕に優しいです!」

「ジーク殿下、貴方様がお心優しいことは十分に心得ております。いくら愚鈍な兄とは言え、庇いたてしたくなる気持ちもわからなくはありませんが・・・・・・」

違います!違います・・・・違うんです。本当に、兄上は優しいんです。・・・・確かに、言葉遣いは荒いかもしれません。でも、それは不器用なだけで・・・・・」


悲しい。何が?と問われれば、全てがとしか答えようがない。

兄に対して辛辣な言動をとるシャルティナの態度が悲しい。
臣下や使用人達が日陰に日向に、兄の悪口を言っていることが悲しい。
兄の、自分(弟)に対する態度が、周りの評価ほどに思いやりの欠片もないようなものではないと、わかってもらえないことが悲しい。

――そして何より、自分が心から兄が優しいと言っても、それが『心優しいジーク殿下だから・・・』と本気にとってもらえないことが悲しかった。


「・・・・・。そうですか、もし
億分の1の確率でそれが本当だとして・・・・それが他者の目に映らなければ、やはり意味がないのですよ。・・・・・私は、殿下の仰るような彼の姿を拝見したことがありませんから、殿下の言葉に残念ながら同意をすることができません」

「・・・・・そうですね、シャルの言っていることは正しいと思います。いまだ見もしないことを信じろと言われても、説得力に欠けてしまいますね。ですがお願いです、どうか僕の目の前で兄上を悪しように言うことは止めて下さい。貴女が兄上をそのように言う様を見るのが、僕は悲しいです・・・・・・・」

「ジーク殿下・・・・・・・殿下の御心のままに」


胸に手を当て、流れるように礼をする己の騎士を、ジークは悲しげな瞳で見つめた。
すっと頭を上げたシャルティナはそのままくるリと反転してジークへと背を向けると、ぽつりと言葉を零した。


「―――ですが殿下、私は何も周りの評価を受けてあの方を嫌っているのではありません。







『スティルベルグ』という一人の人間が、私は個人的に嫌いなのです」

「・・・・・・・・・」


今度こそ絶句したジークを背に、彼女はゆっくりとその回廊を歩き出した―――――。







                        *    *    *







シャーレン国王都―――クァフトル。

王城を中央に据えたこの都は、毎日溢れかえるほどの人々で賑わっている。
城へと続く東西南北の大通りには、目にも鮮やかな出店が立ち並び、様々な品物が売り買いされている。


「パティカ〜、パティカはいらんかねぇ?たった今出来上がったばかりだよ!!」


薄く楕円形に焼き上がったパンのような生地に野菜や肉、魚など様々な具材を色んな組み合わせで挟んである食べ物―――パティカを売る店の主は、大通りを歩いていく人々に大きな声を張り上げて話しかけている。
そこへ近づく人影が一つ・・・・・・。


「よう!アムルカのオヤジぃ!また買いに来てやったぜぇ!!」


そう言ってパティカを売る男――アムルカに声を掛けたのは、普通、王宮にいるはずのスティルベルグその人であった。
今の彼は項で結われた漆黒の髪はそのままに、特徴的な紫の瞳を誤魔化すために色付きの眼鏡をかけ、平服へと着替えた状態である。この姿であったのなら・・・・いや、この姿でなくとも普通であればこんな街中に自国の王子がいるなどとは夢にも思わないであろう。


「ん?・・・なんでぇ、ティル坊主じゃねぇか。また来たのか?お前も暇な奴だなぁ」


スティルベルグ(スティルベルグは街中ではティルと名乗っている)を見て、呆れたような表情をアムルカは作った。そんな彼の表情からも、彼がこの店を訪ねる頻度はそう低くはないことが窺える。


「おいおい、そりゃあねぇんじゃねーの?この俺様が!足しげく、態々やって来てるんだぜ?ちったー有難く思えよ」

「はん!坊主が足しげく通っても、売り上げなんざぁ雀の涙ほどしか変わりゃしねぇよ!」

「ひっでーの!俺、一応客だぜ?客!少しは敬ってくれたって罰はあたんねーだろうが。つーことでパティカ一つね。あ、もちろんおまけしといてくれな!」

「なんでぇ、おまけまで強請るたぁいい根性してるじゃねーか!ティル坊主」


さも当然といった様子でおまけを強請ってくるスティルベルグに、さも嫌そうにアムルカは顔を歪めた。
しかしそんなアムルカの表情など一切頓着せずに、スティルベルグは彼にニカッ!と笑って見せた。


「んなの、オヤジの作るパティカが美味いからに決まってるだろ?よ!シャーレンNo.1!」

「けっ!ちょーしのいいこと言いやがって。んな心にもねー世辞なんざぁこっちから願い下げでぇ!・・・ほらよ!!」

「おっ、サンキュー♪それじゃあ、いっただっきまーす!」


突きつけるかのように乱暴な仕草で渡されたパティカを難なく受け止めると、スティルベルグは早速と言わんばかりに一口齧り付いた。
そんな彼の様子を見て、アムルカは半眼になって思わず注意した。


「・・・・立ち食いたぁ行儀がわりぃーぞ?ティル坊主」


しかしスティルベルグはそんなアムルカの注意も全く気にせずに、パクパクとパティカを平らげていく。
そのままの勢いでさっさとパティカを完食すると、漸く口を開いた。


「んぐ・・・・んな、かてーこと言うなって。やっぱり買い手の感想ってやつは聞きたくないのか?それに、この市に来て真っ先に買うのがここのパティカだぜ?さっき言ったNo.1とかは保証できねーけど、俺は他所の店のパティカとここのを食い比べられるほど高尚な舌は持ち合わせてねーからな。俺が個人的にここの味を気に入ってるんだ、それでいいだろ?」

「・・・・・・ふんっ!今の言葉の方が、俺ら職人にとっちゃーよっぽど褒め言葉だよ」

「さいですか。
・・・・・素直じゃねぇな〜

「何か言ったか?」

「いんや?何にも」


ギロリと鋭い視線を寄越してくるアムルカに、スティルベルグは軽く肩を竦めて返す。


「・・・・ところでよう。最近、何か面白い事とか変わった事はないか?」

「あん?・・・・・別に、これといって面白い事はないな。あー、そうだ。金物屋のハティーさんが愚痴を零してたってことがあったといえばあった」

「愚痴?」

「おうよ!何か金物の仕入れ値が上がっちまって、実際に客に売る値段も値上がりしないといけないとか言ってたな・・・・・」

「ふ〜ん?値上がり、ね・・・・・・・・・よし!そんじゃあハティー婆の愚痴でも聞きに行きますかね」

「ん?何だティル坊主。金物に興味でもあんのか?」


手についたパンくずを払い落としながら移動し始めるスティルベルグに、アムルカは怪訝そうに問いかける。
その質問に対し、スティルベルグは軽く肩を竦めて軽く鼻を鳴らして返事を返した。


「まさか!うちのところの包丁がそろそろ寿命らしいんでね、値上がりしちまったら買うこちらの身としても有難くないだろ?そこんところの話を聞きに行くのさ!」

「なんでぇ、俺のところならまだしも、ハティーさんとこまで値切りに行くのか?」

「さぁね?それはハティー婆の話次第ってことさ」


じゃーな、オヤジ!と言ってひらひらと手を振りながら歩いていくスティルベルグの背を、アムルカは物言いたげに見送った。
そして、その背が雑踏の中へと消えていくのを確認した後、ふぅ・・・と一つ息を吐いた。


「さて、恒例の報告も終わったことだし・・・・・次にいらっしゃるまで、新しい話を仕入れておかんといけんな・・・・」


そうぽつりと言葉を漏らすと、アムルカは頭を振って意識を切り替え、再び大通りに向けて声を張り上げ始めるのであった――――。











アムルカと別れたスティルベルグは、宣言どおりに金物屋の所へとやって来ていた。


「よ!ハティー婆。いるかい?」

「おや、ティルかい?こっちまで顔を見せるなんて珍しいねぇ・・・・・。ところで!誰がハティー『婆』だい?女の人に婆はないだろ、婆は!あたしゃまだ30後半だよ!失礼なことを言うのはこの口かい?!」


そう言うとハティーはスティルベルグの頬をぎゅむ!と抓った。
もちろん、そんなことをされて堪らないのは抓られている当人である。彼らの遣り取りを見ていた者がいたら、口は災いのもと・・・・と内心で呟いたことだろう。


「い、いひゃい!ふぁふひゃっはっへ、ほへーはん!!(い、痛い!悪かったって、おねーさん!!)」

「ふん!わかればいいんだよ、わかれば!」


ハティーは一つ鼻を鳴らすと、抓っていた手を離してやった。
漸く抓り地獄から開放されたスティルベルグは、痛そうに赤くなった頬を摩っていた。


「頼むからもう少しだけ加減してくれよ、このまんま赤い頬で家に帰ったら大変なことになるぜ?」

「そーかい、そーかい。でもあんたはまだ若いからね、家に着く頃には赤みなんてとうに引いているさ」

「そりゃそうだけどよー・・・・・・まぁ、いいや。本題に入るぜ?商品の値段、上がったんだってなぁ。アムルカのオヤジから聞いたぜ?」


コンコン!と手前にあった鍋の縁を軽く叩きながら、スティルベルグは話を切り出した。
ハティーはスティルベルグの質問に、あぁ・・・と溜息にも似た相槌を打って彼の言葉を肯定した。


「そうだよ。先週からさ、はっきりと値上がりしたのは・・・・・・・」

「?『はっきりと』??何だ、随分前からそんな兆候があったような言い回しじゃねーか」

「そうだねぇ・・・・結構、前からさ。半年・・・・いや、下手をしたらもっと前からなんじゃないかと思うんだけどね、本当に気づかないくらいジリジリと値段は上がってたんだよ。初めのうちはね、そんな目に見えるほどの値上がりじゃないから売値の値段を変えることはしなかったさ。けどねぇ、それも段々と積み重なってきたらそうも言ってられない。こっちも商売だからね、先週の値上げでとうとう売値の値段も上げなくちゃあならなくなったのさ」


ハティーの話を聞いて、スティルベルグは少しの間考え込んだ。
その間、視線はずっと黄金色の鍋へと注がれていた。
ふと何か思い当たったのか、スティルベルグは鍋から店の女主人へと視線を上げた。


「なぁ・・・それってよう、他の金物屋も同じ状況なのか?」

「え?・・・あぁ、そりゃそうさ。仕入れこみ先はそれぞれだけどね、やはりどこも似たり寄ったりなようだよ」

「ふーん?だとすると、値上がりの原因は北か西ってことになるよな?」

「北と西?・・・・・・・鉱物自体の値段の値上がりか、その鉱物を加工する技術によっての値上がりってことかい?」

「そういうこと。けど、さっき聞いた話の分では西の線は薄くなるな。仕入先が違うってのに値上がりしてるのはどこも一緒なんだろ?どこの加工工房も値上がりしてるってことになるだろうからな」


スティルベルグはハティーの言葉に頷いて返した。

ここシャーレン国では、王都を中心に東西南北に別れて産業が異なっている。
まず北の地域。ここは小さいながらも鉱山があるので、鉱石を掘り出してそれを町工場などに売って生計を立てている。
次に南の地域。ここは温暖な気候を利用して農作物や果物を育てている。シャーレン国の食物事情はこの地域の収益によって左右されるといっても過言ではない。
更に東の地域。ここは水源がとても豊富な地域だ。水が豊富ということで魚(ここでは淡水魚)が沢山採れ、更には大きな森も存在しているので狩なども頻繁に行われている。更にはきのこや木の実などといった類もここで採れるのである。
最後に、西の地域。ここは前者で述べたような目ぼしい資源はない。その代わりに発展した産業が製造業。北の地域で発掘された鉱物などは、この地域へと送られ、様々な品物へと加工される。

・・・・といったように、この国は何とも素晴らしい具合にバランスの取れた暮らしぶりを送っているのである。
小さな国のくせに、ここまで自給自足の成り立つ国は他にはないだろう。正に奇跡の一言である。


「それだと鉱物の値段が上がってるってことになるだろうけど・・・・・・」

「あぁ、鉱物の値段が上がるってことは、その発掘量が減ってきてるってことが考えられるな・・・・・・・
けど、俺はそんな報告を貰ってないぞ

「ん?何か言ったかい??」

「いや?・・・・まぁ、大体の話はわかったが・・・・・」

ティル様!!


ふいに大声で名を呼ばれ、スティルベルグは思わずそちらの方へと視線を向けた。
視線の先には息を荒げ、肩で大きく呼吸を繰り返している13・4歳くらいの少年が仁王立ちしているのが見えた。
少年の姿を見るや否や、スティルベルグは大きく顔を歪めて「げっ・・・」と思わず声を漏らしていた。
少年はそんなスティルベルグの一連の動作を漏らさず見ており、ただでさえ高揚した顔を更に赤らめてツカツカと足早に近づいてきた。


「漸く見つけましたよ、ティルさ・・・・」


ティル様。と続けようとした少年の口を、スティルベルグは慌てて塞いだ。
もちろん、少年はそんな彼の唐突な行動に抗議の声を上げる。といっても、実際に口は塞がれているので「モガモガッ!」と言葉らしい言葉にはならなかったが・・・・。


「『一体なにするんですか!ティル様!!』」

「『馬鹿!こんな人通りの多い所でティル『様』なんて呼ぶんじゃねーよ!何のために俺が変装してるんだと思ってんだよ!!』」


ひそひそ声でお互いに文句を言い始める二人。傍から見ていれば怪しいことこの上ない。

あ、ちなみにこの少年。彼はスティルベルグの側仕えである。
その目的は言わずもがな、スティルベルグを城へと連れ戻しに来たのであった。


「『そんなの今更じゃないですか!街中でも僕は散々ティル様って呼んでるんですから。それとも殿下って呼ばれたいんですか?』」

「『うげっ!それだけは本気で止めてくれ。あ〜、わかった。わかったよ。だからな、頼むからその呼び方を大声で呼ぶのだけは勘弁してくれ。それくらいならいいだろう?アハト』」

「『む・・・仕方ないですね。善処します』」

「『そうしてくれ・・・・・』」


肩を寄せ合って会話を交わす二人の姿を、ハティーはニヤニヤと面白そうに見守る。
話し合いが終わり、姿勢を正した二人にハティーは声を掛ける。


「おやおや、お迎えが来ちまったようだねぇ」

「そんなんじゃねーよ。こいつがただ心配性なだけだ」

「なっ!誰の所為ですか、誰の!!」

「さぁーてね?俺は知らねーなぁ」


しれっとした様子で答えるスティルベルグに、アハトと呼ばれた少年は漸く元に戻った顔色を再び赤くした。


「はっはっはっ!虐めるのもそれくらいにしてあげたらどうだい?あんたを必死に探しに来てくれたその子が可哀想じゃないか」

「あん?何だ、こいつの肩を持つってーのか?」

「そりゃあそうさ。古今東西、女の人は可愛い子には優しいんだよ」

「ぬっ、それだと俺が可愛くないよーに聞こえるぜ?」

「ふふっ!あんたは可愛げのない子さ。まぁ、そこが憎めないのも不思議なことだけどねぇ」

「・・・・・・・・・・」


そこまでボロクソに言うかぁ?というスティルベルグの疑問の視線に、ハティーは軽く笑って返した。
と、二人の会話を取り敢えず聞いていたアハトは、必要な用件は話し終えたと判断して、スティルベルグの服の袖口を軽く引っ張った。


「あの〜、お話は終わったようですし、そろそろ引き返しましょう」

「いや、ダメだ」


やけにきっぱりと言い切るスティルベルグに、アハトは怪訝そうな顔をして問うた。


「・・・・・・なんでですか?」

「ヨムルド(※肉と野菜の串焼きのこと)をまだ食べてない!」

「・・・・・・・・・・・・・・」


胸を張り、さも偉そうにスティルベルグが告げた内容は、それに反しあまりにも馬鹿げたものであった。
もちろん、真面目に聞き返したアハトがそれを聞き入れることができるはずもなく―――


ぶちっ!!


当然のことながら、キレた。

ぐわっし!!とスティルベルグの襟元を引っ掴むと、そのままズルズルと引きずり出した。


「んなっ!?何しやがるアハト!俺はヨムルドをまだ食べてないっ!!」

「はいはい。そんなものを食べてしまったら、夕食をきちんと食べることができなくなります。ここはスッパリキッパリと諦めてください」

「いーやーだぁーっ!!」

「はぁ〜い。そんな子どもみたく見苦しい駄々は捏ねないでくださいね〜」

「あぁ〜、俺のヨムルド―っ!!」


アハトに引きずられ、スティルベルグは容赦なくその場から連れ去られていった。
後には呆れ顔のハティー、並びに同様の表情をした出店の売主達が残された。


「全く、相変わらずだねぇ『殿下』は」


呆れたように紡がれたハティーの言葉に、周囲の店の主達も笑いを零しながら同意した。


「くっくっくっ!違いねぇ。あれで身分を隠してるつもりだから笑いを通り越して呆れちまうな」

「しっかし、いつ気がつくかねぇ?俺らが殿下だってことに気づいてることに・・・・・・・・」

「さぁねぇ・・・・本人はあれで完全に変装している気だからね。このまま気づかないんじゃないかねぇ」

「でもなぁ、色付き眼鏡はなぁ・・・・逆に目立つって教えてやりたいよなぁ〜」

「よくよく見れば、瞳の色が紫ってわかっちまうしな〜」

「「「「「はぁ、全く困ったお方だ・・・・・・」」」」」


呆れている風情でも、雑踏の中へと消えていくスティルベルグ達を見送る彼らの眼差しはとても温かいものであった。
何だかんだ言って、週に1回のペースでやって来る彼を、城下の者達は皆楽しみにしていた。
無論、その時はいくら彼の身分が『殿下』だとわかっていようとも、それに気づかぬ振りをして普通の人として接しようというのは彼らの中では暗黙の決まりとなっている。


「しかし、初めてお会いした時にはビックリしたよなぁ〜」

「あぁ、ご身分は高いはずなのに言葉遣いは悪いし?」

「態度もでかいし?」

「極めつけは歯に衣を着せない、あの真っ直ぐかつ遠慮のない物言い!」

「しかもちゃっかりしていて図々しいったらない・・・・・」

「「「「「どこからどう見てもそこら辺にいるガキ(子ども)だよな(ね)〜」」」」」


うんうん。と納得するように自分達の意見に頷く彼ら。どこをとっても褒めているようには聞こえない。
本人が聞いていたら癇癪を起こすか、呆れて脱力するかのどちらかだろう。


「まぁ、どこからどう見ても悪ガキなんだけどなぁ。でも、だからって納得できねぇーんだよな・・・・」

「あぁ?何がだよ??」

「王宮ではボロクソに嫌われてるって話さ」

「あー、あれなぁ。きっと俺達と王宮勤めのお偉い様方の感覚が違うんだって。俺らが”それくらいのこと”って見逃すようなことも、向こうとしちゃあ許せないんじゃないか?」

「あ〜、成る程なぁ・・・・・」

「だからじゃないのかい?殿下が城を抜け出して街に下りてくるのは」

「そうだよなぁ、息詰まりそうだもんな〜。殿下、どうみたって感覚庶民寄りだし・・・・・」


ちょっとばかり不憫そうだなぁと思い、彼らはスティルベルグが消えていった方向――つまりはお城がある方へと視線を向けた。




そんな彼らの心配は、当人であるスティルベルグが知る由もなかったが――――――。











2008/2/24