朝の涼やかな風と共に、小鳥たちの囀りが響き渡る。
窓から差し込む朝日に眩しそうに目を細めながら、ウォーリッヒはむくりと体を起こした。
あの後、夕暮れにようやくカトルの森に程近い村へと辿り着いたウォーリッヒ達は、その村のとある宿に腰を落ち着けたのであった。
「ふわぁ〜。うー、もう朝かぁ・・・・・・」
あくびをしたために浮かんだ涙を手で擦り、ウォーリッヒは視線を窓の外へと向けた。
その視線の先にはまばらに立ち並ぶ家々と、朝から活発に動いている人々。
そして奥を垣間見ることのできない森―――ウォーリッヒ達の目的地でもあるカトルの森であった。
カトルの森へと視線を向けたウォーリッヒは、すうっとその瑠璃色の目を細め、しばらく眺めた後に目を逸らした。
「あ、おはよ〜ゼルム。朝の鍛錬?本当にまめだよね〜」
ウォーリッヒ達が泊まっている宿は1階が食堂、2階が宿泊部屋となっている。
食堂にて朝食をとっていたウォーリッヒは、外から帰ってきたゼルムの姿を見つけ、ひらりと手を振った。
そんなウォーリッヒに気づいたゼルムは、こくりと一つ頷くとそのまま2階へと上がっていった。
その後、ウォーリッヒが朝食を終えて食後のお茶をすすっている頃になると、ようやくゼルムは2階から降りてきた。
先ほど外から戻ってきたゼルムは鍛錬の邪魔にならないような動きやすい格好をしていたが、2階から降りてきた時にはいつもの服装に戻っていた。
「あれ?カッツェさん達は?」
ゼルムが一人で降りてきたことに疑問を感じ、ウォーリッヒは小首を傾げる。
そんなウォーリッヒの問いに、ゼルムは至って簡素に言葉を返した。
「まだ寝ている」
「ふ〜ん、相変わらず朝は弱いみたいだね」
ゼルムの返答を聞いたウォーリッヒは、納得したように頷いた。
ここ数日間という短い間ではあったが彼らと共に旅をしたわけで、もちろん彼らの生活サイクルとて大体は掴めるというものである。
カッツェもロゼフも共に朝の起床時間は遅い。
カッツェは低血圧のため、そしてロゼフは夜遅くまで薬の調合などを行っているために朝は起きるのが遅いのだとか。
その説明をしっかり聞いているウォーリッヒは、ゼルムの返答にも特に疑問を抱くことなくお茶を飲むことを続ける。
そんなウォーリッヒの向かい側に腰を下ろしたゼルムは、店の者に朝食を注文する。そんなゼルムを見遣りながら、ウォーリッヒは言葉を続けた。
「で、鍛錬の調子はどう?」
日課である剣の鍛錬など、さして大きく変わったことなどあるはずもないが、一応これから件の森へと向かうのだから聞いておいても損はないだろう思い質問する。
「上々だ。今日はウサギとイノシシが狩れた」
剣の鍛錬じゃなかったのか?!
「へぇー、すごいね。運ぶの大変じゃなかった?」
突っ込むところはそこじゃない!
「ちょうど猟師の人が通りかかったので譲った」
タイミング良いなぁ、その猟師!!
片や笑顔、片や無表情で紡がれる会話。
彼らの話題にしているものはゼルムの剣の鍛錬についてだ。しかし傍から聞いていればどうとっても狩猟の鍛錬の話にしか聞こえない。
事実、彼らの隣のテーブルでその会話を聞いていた者は「ウサギにイノシシ・・・なかなかやるな」と内心で呟いていたりする。激しく間違っている。
「・・・・・で、どこまでが冗談なの?」
ニコニコと笑顔を崩すことなく、普通の調子でウォーリッヒが聞き返す。
そんなウォーリッヒの質問に、ゼルムは無表情のまま言葉を返した。
「上々以外だ」
ガダダダッ!
彼らの会話が聞こえる範囲にいた者たち全員が思わずずっこける。
というか冗談?冗談だったのかっ!?上々以降の会話が全部!!
会話をしていた本人達は至って自然な様子であったので、全く冗談には聞こえなかった・・・・。
思わず生ぬるい視線を周囲から送られる二人であったが、そんなことは気にも留めずにマイペースに会話を続けていく。
ふと会話が途切れた頃、ゼルムは微かな違和感を感じ、改めてウォーリッヒに視線を向けた。
そしてじっとウォーリッヒを見つめた後、僅かに顔を顰めた。といっても、傍から見ればその表情に微々たる変化もないように見える。
しかし、そんな彼の表情の変化に気づくことができる者もいる。
そう、彼の目の前にいるウォーリッヒその人だ。
「・・・・・なに?」
「・・・・・顔色が」
少し良くないように見える。と後に続くであろうゼルムの言葉を察したウォーリッヒは、軽く肩を竦めてみせた。
「だいじょーぶ!昨日は・・・少し寝れなかっただけだよ」
「・・・・・聞こえるのか?」
「そりゃあ、これだけ近くにいればね」
ついっとウォーリッヒの視線が外――厳密に言えばカトルの森へと向けられる。
それにつられてゼルムも外へと視線を向けた。
二人の視線の先には、鬱蒼と生い茂る深緑が広がっている。
ゼルムにとっては異様に静まり返っている森としてしか目に映らない。だが、『聴こえる』ウォーリッヒにとっては寧ろ耳障りな叫び声が頭に響いてうるさいほどの森だ。
昨晩、ウォーリッヒがあまり眠れなかったのもそのためである。
「うーん、一応『耳栓』はしておいたんだけどね・・・」
ここで言う耳栓とは実際に耳に詰め物をするわけではなく、ウォーリッヒ自身の『聴く』能力に蓋をする・・・というか、意図的にセーブをかけることをさす。
ある程度己の力をコントロールできるからこそであるが、それをもってしても『声』が聴こえるのである。厄介の一言に尽きる。
しばらくの間黙って森を眺めていた二人であるが、ふいにゼルムが口を開いた。
「騒々しい・・・・・ということは、わかる」
「そりゃあ、ゼルムくらいの人になればね。聴こえなくったって気配とか・・・そういったものを感じ取れるんじゃないかな?」
これだけ騒いでいたらね。ある程度感覚が敏感な人なら何となくでも感じ取れると思うよ?と、そこまで話したウォーリッヒは残っているお茶へと口をつける。
「そうか・・・・・」
お茶を飲むという話題の区切りの合図を読み取ったゼルムはそれ以上話をすることなく、ちょうど運ばれてきた朝食へと手をつけたのであった―――――。
さわり・・・さわり・・・。
吹き抜ける風に木の葉が揺れる。
しん・・・と静まり返った森の中は、さながら活気というものがない。
ふいにざわりと森の気配が蠢いた。
ニクイ。
イマワシイ・・・。
ニンゲンドモメ!
サイヤクヲマネキシモノ。
ノロワシイ・・・。
イタイ。
クルシイヨ・・・・。
ナンピトモタチイルコトハユルサヌ!
ココハセイナルチ。
ワレラノアンソクノバショゾ!!
ヒトノコハ、ハイジョセヨ――――!!
ざわり・・・ざわり・・・。
森を取り巻く闇が深くなる。
「・・・・全く、厄介なことを押し付けてくれるよ」
森を見据える瑠璃色は、ひどく剣呑な光が浮かんでいた――――。
2010/3/10 |